Minolta V2 1958 年製
諸元 |
レンズ
シャッター
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: 『ロッコールPF』 f2.0 48m/m 5群6枚構成
: 『シチズンオプティパーHS』 B ,1〜1/2000 |


日本のカメラメーカーのほとんどが東京に集中している中で、唯一関西の大阪に本拠を構えたメーカーがこのカメラの
製造元である「千代田光学精工」のちの『ミノルタカメラ』である。創業は1923年で、非常に多くの機種のカメラが造ら
れてきた。中でも2眼レフの『オートコード』は有名で、そのレンズ 『ロッコール 75m/m f3.5』 はローライのテッサーよ
りも評判が良かったくらいだ。また35ミリの初代『ハイマチック』は アメリカのロケット 「フレンドシップセブン」に乗った
グレン中佐が宇宙から初めて地球を写したカメラとして有名になった。 このカメラ『V2』に使われたシャッターシステム
がのちのユニオマットや、このハイマチックに継承された。

2枚の写真を比べれば判ると思うが、羽根の位置が違う。左はノーマルな
1/500のシャッター位置になっている。 |

この羽根の位置は1/2000のシャッター速度の位置で明らかに角度が違
う。 スライドパネルの位置の違いからも確認できる。 |
 
写真左の円内のカムが羽根の角度を変えるカム。右の楕円内の階段状の溝が 1/0000,1/2000をコントロールするためのミゾである。
このシステムが[ユニオマット]や[ハイマチック]のシャッターに引き継がれて、あのすばらしい「ライトバリューシャッター」が生まれたのではないか?
と勝手に想像している。
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シャッター速度とシボリの関係を表した図だ。
高速度を出す為に羽根の角度を深くしている
そのため羽根は全開しない。 1/1000 では
「f 4」 以上にシャッター羽根は開かない、その
ためブルーの線以下のシボリしか利用できな
い。 1/2000にしても同様にレッドラインの
「f 8」 以下のシボリに制限される。 それでも
『V 2』 はレンズシャッターカメラの世界記録を
保持していた。 この2年後の1960年には、
露光計を組み込んだ『V 3』が発売された。
勿論シャッター速度は1/3000で世界最速の
レンズシャッターカメラである。 |
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この写真は、ボディとレンズ部の間の乱反射を防ぐ遮光板を押さえるためのモルトが水成化して発生したサビだ。
ボディ側のモルトは固着してボロボロになっていた。この時代のたいていのカメラの遮光材に、このモルトが使われ
ているが、ほとんどのカメラの金属部がさびたり腐ったりして悪影響を及ぼしている。 セミ判カメラや2眼レフなどを
分解してみてもこんな部材(モルトなど)は滅多に使っていない。毛糸も使わず、ちゃんと遮光してある。 私の場
合、修理に際して遮光が必要な時には昔のように必ずベッチンの様な布か、太い毛糸を使っている。 |

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